普通じゃなくていいんじゃない?

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zoom RSS セツさん

<<   作成日時 : 2016/02/23 22:49   >>

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「在原先生、急患です!」
 そう言って看護師が俺のデスクにやってきたのは、昼食を終えて午後の仕事を前に一服している時だった。

「患者の状況は?」
知らせに来たのは救急科に配属されて間もない看護師で、慣れない急患に戸惑っている様子だった。俺は、彼女と対照的に、朝食のメニューでも聞くかのように冷静な口調で尋ねた。
「あ、はい。患者は田辺セツさん、七十三歳。近所のスーパーで買い物中に突然胸を押さえて倒れ込んだそうです。現在、意識不明。五分ほどで病院に着きます。」
俺はこの時、不思議な違和感を覚えた。田辺セツ。どこかで聞いたことがあるような…?
「OK。すぐに胸部のCTを取ってくれ。」
しかし、今は深く考えている暇はない。愛用のマグカップに三分の一ほど残ったコーヒーを飲み干し、俺は急ぎ足で検査室に向かった。
「こりゃ、まずいな。破裂してるぞ。」
 セツの胸部CT画像を見ると、心臓付近の太い血管の周りに白くモヤがかかっていた。血管が破れ、流れ出た血が写り込んだためだ。胸部大動脈瘤の破裂。何らかの原因で大動脈の血管が詰まり、「こぶ」ができたもの。自覚症状がない場合も多く、気付かぬうちに肥大化した「こぶ」が破裂すると、死亡率は八十%にも上る。
「緊急手術だ。患者をオペ室に運んでくれ!」
 対面した老婆、田辺セツは青白い顔をしながら、苦悶の表情を浮かべ、胸の辺りをギュッと力強く押さえていた。「セツさん、今から麻酔するから。大丈夫ですよ」なんて声を掛けながら、俺の脳内では幼少期の忘れかけていた記憶が再生されていた。

「かつお節、食べていくかい?」
 駄菓子屋の店先でコロコロと丸っこい笑顔を俺に向けるのは、現在よりややふっくらとしているが、田辺セツ、その人に間違いなかった。彼女は昔、駄菓子屋を営んでいた。近所の小学校に通っていた俺は、放課後、その店に行って駄菓子を買い食いするのが楽しみだった。特に三十円で買える「ガーリックバター風味」と銘打たれたスナック菓子『ドドンパ』が好きで、お店に寄るたび買っていた。
 俺の家は転勤族だったし、父方の祖父母を早くに亡くしていたこともあり、俺にとって、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という存在は縁遠いものだった。だから無意識に俺は、いつもニコニコして、優しいセツさんを本当の祖母のように考えていた。彼女の店は元々かつお節屋だったそうで、店先一杯に並んだ駄菓子の隅に、三、四種類のかつお節が置かれていた。彼女はたまにそれを削って、俺に食べさせてくれた。いつも食べるパックのやつとは、香りも味も全く違っていて、すごく驚いたのを覚えている。
 ところが俺は、セツさんに酷いことをしてしまう。ある日の放課後、俺は彼女の店で万引きをするのだ。彼女が少しの間、カウンターの奥に引っ込んだすきに、サッと素早く『ドドンパ』の袋を手に取り、ランドセルの隙間からねじ込む。その瞬間、ドキッと心臓が跳ね上がって、頭が真っ白になった感覚は今でも忘れられない。どうしてそんなことをしたのか、もう思い出すこともできない。友達とケンカしたか、塾をさぼりたかったか、親に怒られたか。何にせよ、当時、面白くないことがあったのだ。
 それ以降、俺はセツさんに会うのが気まずくて、駄菓子屋には行ってない。すぐに転勤で離れてしまったこともそうだが、何年か後にお店の前を通りかかったときには、すでに店じまいされていた。罪悪感は、ずっと胸に残り続けてはいたが、どうすることもできなかった。そのうちに、このことは記憶の片隅に追いやられていた。

 田辺セツの手術は困難を極めた。止血したのち、人工心肺を使って心臓から血液を抜き、出血箇所に人工血管を取り付ける。合併症のリスクが極めて高く、高齢のセツがそれだけの大手術に耐えられる見込みは低かった。破裂した血管の除去、人工血管の縫合。一つひとつの過程を在原は慎重・丁寧かつ速やかに行っていった。
(俺はあなたに謝らなきゃいけないんだ。セツさん、どうか死なないでくれ!)
彼の額には玉のような汗がにじんでいた。手術は終わりまで七時間を要した。

「セツさん、目を覚ましました!」
 次の日、在原の元に看護師から知らせが入った。合併症の兆候はなく、手術は成功だった。
「ご気分はどうですか?」
すぐにセツの病室に向かった在原は、彼女に話しかけた。すっかり顔色のよくなったセツは、深いしわの刻まれた目元を細めた。在原は胸に懐かしい温かさがこみ上げるのを感じた。
「ずいぶん良くなりまして。昨日、スーパーで倒れたときは、『もうお迎えが来たかしら』なんて思ったんだけどねぇ。ありがとうございました。」
独特のゆったりとした口調も昔のままだ。在原は嬉しくなった。
「まだセツさんが死ぬには早いって、神様が言ってるんでしょう。」
「あいー、物好きな神様もいるもんだねぇ。ところで、あたし、先生のこと、どこかで見たことある気がするんだよ。」
「奇遇ですね。私もセツさんに会ったことある気がするんです。」
「うー、どこでだろうね?」
「私は、在原正志って言います。昔、セツさんの駄菓子屋に通ってたんですけど、覚えてますか?」
「あー、マー坊か! あの頃は、めんけぇ顔してたけど、まぁまぁ、すっかり立派になって。まさか、手術してもらうことになるとは思わなかったよ!」
「覚えててくれたんですね! 私も…。いや、僕もセツさんの顔を見たとき、『まさか』って思いました。」
「最近、すっかりボケてきたけど、マー坊のことはよく覚えてるよ。いつも同じお菓子を買ってたなぁ。なんて言ったか、『ドロンパ』?」
「『ドドンパ』です。」
「そうそう。よく通ってくれてたのに、突然来なくなっちゃって。寂しかったなぁ。」
「そのことなんですけど…。セツさん、ごめんなさい!」
「どうしたんだい、突然?」
「僕、セツさんのお店からお菓子を盗んだんです。ずっとずっと謝ろうと思ってたんですけど、どうしてもセツさんに会うのが恐くて。そのうち、父が転勤になって、そのままうやむやで。覚えてますか。」
「…。」
セツは目を閉じて、考えを巡らせていた。
「ちゃぁんと覚えているよ。確か、飴だったか。万引きする子はよくいたからなぁ。」
セツの口調が重苦しくなった。
「本当にごめんなさい!」
在原は誠意を伝えたくて、深々と頭を下げた。
「だども、今許した。マー坊は本当に立派になったなぁ。お医者さんになっていっぱい人助けして、こうして昔のこともちゃんと謝れるんだ。あたしは嬉しいよ!」
「セツさん…。」
「ずっと苦しかったろう。婆さんは命拾いしたし、これでお互い様だ!」
セツは在原の肩をポンと叩いた。在原は、その手を取って、再度セツに感謝を告げた。
 数日後、セツは元気になって退院した。彼女を見送った後、在原は病院内のコンビニに行った。そして、お菓子コーナーに陳列されていた『ドドンパ ガーリックバター風味』をスッと一度カバンに忍ばせてから取り出し、三十二円で購入した。

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