ダイブ63

六十二からの続き


   六十三

 高野が目を覚ますと、翔さんはすでに部屋にいなかった。代わりにテーブルの上に紙が乗っていたので拾い上げた。それは翔さんからの手紙だった。

 ここ数日、高野くんの迷惑も考えず押しかけてすまなかった。それには複雑な事情があったんだけど、それを一つずつ説明してみようと思う。
 覚えてるかどうか分からないが、ずいぶん前にレコード会社のオーディションを受ける話をしたな。八月にそのオーディションを受けたが、結果は不合格だった。俺なりに全身全霊を込めて歌ったが、審査員のお眼鏡には叶わなかったようだ。その結果を知ってすぐ、今度は秋田の実家から、「親父が倒れた」と連絡が入った。俺の実家はいくつか分店のある洋菓子屋をやっている。俺は三十歳までミュージシャンを目指そうと決めていたが、「これは実家に帰るべきタイミングかもしれない」と思った。それで九月から年明けまでずっと秋田にいたんだ。今回東京に戻ってきたのは、荷物を整理するためだ。だから時間が限られていた。
 東京で心に残っていたのは高野くんのことだった。遊び半分でバイト先の同僚にアプローチするようけしかけたり、風俗を連れ回したりして散々な思いをさせてしまったと思う。それというのも、高野くんはどことなく以前の俺に似ている気がしたからだ。優柔不断でプライドが高く、どこか世の中になじめずにいる。そんな高野くんがどうしてるか気になって、今回強引に押しかけてしまった。すると部屋は荒れ放題で君は生気がない。これはただごとじゃないとすぐに分かった。だから、適当な口実を付けて君の部屋に通った。それもこれもすべてはお節介だ。独善が過ぎたことをどうか許して欲しい。
 これから俺は実家に帰って家業を継ごうと思う。昔は家業なんか絶対継がないと思っていたが、今はそれも運命かもな、なんて不思議と心の準備ができてる。だが、勘違いしちゃいけない。俺はミュージシャンの夢を諦めてない。音楽はいつでもどこでもできる。それはもちろん田舎にいたって別の仕事をしていたって同じだ。『歌うパティシエ』なんて最高に楽しそうだろ。やっぱり音楽はやめられそうにない。魂を込めた歌は人を純にする。
 ここからは少し昔の話をしようと思う。秋田で生まれ育った俺は家業を継ぐことも、田舎の退屈な空気にもうんざりしていて、高校を卒業した後、東京に出てきた。就職したのは下町の小さな工場だった。仕事は辛かったが、工場長の娘(アイリ)はかわいかった。俺とアイリはすぐに付き合いだした。でも工場長は俺たちの関係をどうしても認めてくれなかった。仕方なく俺は工場を辞め、アイリと駆け落ち同然で同棲を始めた。だが、すぐに生活は荒れ出した。不器用だった俺は仕事の覚えが悪く、色んな仕事をしたがどれも長続きしなかった。就活や仕事のストレスは酒で発散し、アイリにあたることもよくあった。それでもアイリはジッと我慢してよく俺に尽くしてくれていた。そして交際が四年くらい続いたある日、アイリは一通の手紙を残し、突然いなくなった。「一緒にいると、私はあなたをダメにしてしまう」。それは、「今度こそ心を入れ替えて働く」と誓った住宅の営業を一年少々で辞めてすぐのことだった。俺は心底後悔した。根気のない自分。自分勝手にしかアイリを愛してなかった自分。苦悩と絶望。俺は我が身のすべてを呪った。
 しばらくただ無気力に過ごしていたが、それでも何か変化を求めていた。もし今度愛する人が現れたら、こんな悲しい結末を迎えないように。そこで思い立ったのがミュージシャンになることだった。俺が昔からずっと続けてきたこと。そして、これからも辞めないと思えるもの。それが音楽だった。中学の頃にギターを始めて、高校時代はバンドをやった。アイリにも自作の歌なんかよく聞かせていた。ミュージシャンのなり方なんてよく分からなかったが、とにかく叫び出したい思いがあった。そして、気が付いたら俺は路上で歌っていた。
 高野くんと出会ったのはそれからしばらく経ってからだ。路上では色々な人と出会ったが、高野くんほど親しくした人はいなかった。君はからかい甲斐があってとても面白い。
 高野くんにいったい何があって、どうすれば助けになれるか俺には分からない。でも、秋田に行ってからも君がいい人生を過ごせるように願っている。どうか元気で!

追伸:高野くんがまさか自殺未遂までしてるとは思わなかった。だけど、俺は高野くんにますます親近感を覚えた。俺と君はやっぱりよく似ている。特に女に逃げられるあたりがそっくりだ!
 高野くんは今きっと「本当の絶望」の中にいると思う。それはまるで小さな小舟で嵐の大海原に放り出されるようなとんでもない苦悩を伴っているだろう。出口が見えず、自分が生きてきた土台が根底から覆される感じ。ガレキの山となった廃墟には草ひとつ生える気配がない。そんなときは本当に本当に辛い。
 だがあえてお節介を承知で言わせてもらえば、それは人間が大人になるために必要なプロセスだ。大人とは人を真剣に愛せる人。身勝手なエゴを越えて思いやりを持てる人だ。悩んだ人間には人の痛みが分かる。その絶望を乗り越えたとき、君は今よりもっと深く人を愛せるようになる。それは人生に最上の喜びをもたらす。どうかその日まで自分自身を投げ出さないで欲しい。
 大切なのは想像力だ。人は心に描いたイメージの通りに人生を歩む。君は今、自分自身に否定的なイメージを持っているかもしれない。でも、どうか悲観的にならないでくれ。「自分には価値がない」と思う人間は、自ら輝く機会を失っている。未来には無限の可能性があるのに、それを自ら潰してしまうのは本当に愚かなことだ。何があっても君は君らしく生きればいい。生きてるだけで人間は百点満点なのだから。

佐藤翔馬


―――

続き

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