ダイブ65

六十四からの続き


   六十五

一月二十四日
 久しぶりにギターを触ってみた。部屋が寒かったので、指がかじかんで上手に弾けなかった。いつだったか千佳子の前で弾いたら、「イマイチだね」って言われて、それ以来すっかりやる気をなくしていた。でも触ってるうちに、だんだん楽しくなってきた。やっぱり音楽はいいものだ。

一月二十八日
 自分が今生きてることの背後には、色んな繋がりがある。父、母、祖父、祖母…。先祖を数え上げていけば、とんでもない人数の遺伝子が受け継がれていて、その組み合わせが一つでも違えば、自分は生まれてこなかった。これまでの人生の中でも、意識すらできない無数のものに影響を受けてきた。生まれたての赤ん坊は決して一人では生きられない。そこに両親の愛が注がれなければ、無残な肉の塊になるだけである。食事、服、家、家族、友達、先生、学校、職場、街、社会、海、山、空、自然、ゲーム、本、音楽…。僕を形作る無限の要素たち。街を歩く一歩一歩の歩みさえ、自分が大地を踏みしめて生きてる事実を思い出させてくれる。歩くことは地球とのキスだ。
 やっぱり人との繋がりって大事なことだ。どうすれば人に思いやりを持てるだろう? たぶん相手の幸せを願うことが大切だ。身も心も捧げて人の幸せを願う。ああ、それを意識したら、脳が膨れ上がってスパークしそうだ。これはなかなかしんどいね。それだのに対人恐怖。もう意味が分からないや。

一月二十九日
 近所の公園でなぜかゴミ拾いをした。たまに通りがかりの人に変な目で見られてた気がする。終わってみると疲れたけど気持ちよかった。誰の役にも立たず生きるのは辛いことだから、何か小さくても役割が欲しかったのかもしれない。
 社会って演劇みたいなものだ。真っ黒なエゴの上に、親とか教師とか社長とか、そういう役割のペルソナを付けてみんな演技している。そしてお金と仕事を崇め奉る自殺者三万人の美しい国は今日も正常運転だ。その影でペルソナを拒否した人間は舞台に上がることすら許されない。ただ正直に生きようとしただけなのに、世間は彼らを「異常」扱いしたがる。
 オレはどこで生きていけばいいだろう。今まで付けてきたペルソナはどれも合わない。窮屈で呼吸が止まりそうだ。でもそれを外したら、ただのエゴ全開なわがまま人間だ。Oh、ジレンマ。ただの劇なら好きにやればいいさ。

一月三十日
 どうすればこのさえない毎日を少しでも楽しくできるだろうか。街に出て、すれ違う人の幸せを一瞬願うっていう怪しい儀式みたいなのは意外と楽しい。脳がいい感じに刺激を受けるのだ。今日は一万人の幸せを願った。あれっ、オレって案外いい人?

一月三十一日
 新しい年、最初の月の終わりに何か変化が欲しくて、孝ちゃんにメールした。「今度会えないか?」って聞いたら、「二月三日ならいいよ」だって。前にあったのは夏だから、もう半年前か。色々あったなぁ…。


―――

続き

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック