ダイブ66

六十五からの続き


   六十六

 中央線沿いの住宅地にある三島孝太郎の家は半年前と変わらぬ姿でたたずんでいた。今日は洋子がパートに出ているそうで、家には孝太郎一人しかいなかった。高野は玄関で迎えてくれた孝太郎とともに二階へ上がった。リビングのコタツを囲んだ二人は早速話し始めた。
 「孝ちゃん、久しぶりだね。最近どうしてた?」
 「うーん、相変わらずだよ。体調が悪くてね。」
 「そっか。日中はどんな感じで過ごしてるの?」
 「寝てることが多いかな。起きてるのは大体夜中で、ネット見るかゲームしてる。体調がいい時は少し歩いてるよ。誰もいない街を歩くのって楽しい。高野は?」
 「俺は…。」
高野はやや躊躇いがちに最近の出来事を話した。同僚に振られ、テンダーを辞めたこと、国中市の採用試験に落ちたこと、恋人がいなくなったこと…。孝太郎は真剣な表情で高野の話を聞いていた。
 「高野は色々あったんだね。」
 「まぁね。だから最近は人に会うことが恐いんだ。どことなくみんな裏がある気がして、自分は悪く思われてるんじゃないかと不安になる。」
 「俺もずっとそうだよ。特に親戚に会うの嫌で、正月はおじさんの家族が来たけど、ずっと部屋にこもってた。」
 「俺は幸い自由に外には出られるけど、新しい人に会ったり、働いたりっていうのは抵抗がある。家から出たくないっていう孝ちゃんの気持ちも少しだけ分かった気がするよ。」
 「高野…。」
 「俺、孝ちゃんに謝らなきゃいけないことがあるんだ。」
 「何?」
 「半年前ここに来たとき、最後孝ちゃん怒ってたでしょ?」
 「そうだっけ?」
 「あのとき、俺は孝ちゃんの気持ちも考えず、自分の自慢話ばかりしてしまった。家から出られず辛い思いをしてる孝ちゃんにわざわざ嫌がらせをしていたんだ。本当にゴメン!」
 「何となく思い出してきたよ。」
 「まだあるんだ。あの日孝ちゃんと会ったのは、大学の友達に会ってすぐのことだった。そのとき俺は、社会人として充実した生活をしている友達を見てすごく嫉妬した。自分が何の価値もない惨めな人間に思えて苦しかった。だから、本当に酷い話だけど、自分より惨めな状態の孝ちゃんに会って憂さ晴らしをしようとしたんだ。怒ってもいい。友達の縁を切ってくれてもいい。でもどうか謝らせてほしい。」
 「高野、もういいよ。気持ちは分かった。俺がどれだけ惨めな人間かは自分が一番分かってる。」
 「孝ちゃん違う。そういうことじゃない。本当に惨めなのは、人の痛みが分からない俺の方なんだ。」
 「高野、これは誰にも話したことないんだけど…。」
 「何?」
 「俺が学校に行けなくなった理由、聞いてほしいんだ。」
孝太郎の声が震えた。彼の表情からは明らかに緊張している様子が伺えた。それは見ている高野まで伝染するほどだった。呼吸を整え高野の目を見た孝太郎が、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
 「俺、学校でオナニーしたんだ。」
 「オナニー?」
 「高校二年生の頃だったかな。ポケットに手を突っ込んで自分のモノを触ってた。別にクラスの誰を思い浮かべるとかそういうんじゃなかった。ほんの出来心というか、どうしてそんなことをしたのか自分でも思い出せない。」
 「まぁ、高校生の男子って言ったら猿だからな…。」
 「それがクラスの女子に見られてたんだ。すぐに噂は広まって、俺はクラス中の女子からハブられた。席替えで俺の隣に来た女子が悲鳴を上げるんだ。あれはたまったもんじゃない。しかもそれが一部の男にも伝わってからかわれた。影で『マスター』なんて呼ばれてた。」
 「マスターベーションか…。」
 「そのうち俺は学校に行くのが嫌になった。毎日朝が来ると、頭とかお腹が痛くなるんだ。親にも学校へ行きたいくないって話したけど、認めてもらえなかった。泣きながら訴えたら、休むのは許してくれた。でも卒業だけはしなさいって。だから何とか最低限だけ通った。それからもずっと外に出るのが恐い。このままじゃいけないと思って、何度かバイトしたこともあるけど、いつも人と上手くしゃべれなくてダメになる。」
 「そんなことがあったんだな…。」
それ以上、高野には掛ける言葉が見つからなかった。幼馴染だ、友達だと言いながら、自分は孝太郎のことを何一つ理解していなかった。そのことに高野は気付いた。
 「また、たまに会って話できるといいね。」
別れ際にそう告げた孝太郎は笑顔で高野を送り出した。
 「こっちこそ、また会いたい。いつか二人で昔みたいにサッカーしよう!」
 「それは難しいんじゃないかな?」
 「さぁ、それは俺たちの想像力次第だ。」
 「何それ?」
不思議そうな表情をする孝太郎に高野は手を振り、別れの挨拶をした。まだまだ外は寒く厳しい冬は続くが、いつか必ず春が来る。それは俺や孝ちゃんにとっても同じだろうか。高野はどこまでも澄んだ冬晴れの空に問いかけた。


―――

続き

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