ピアスホールの白い糸

「あの~、ピアスを開けた穴から白い糸が出て、それを抜くと失明するって聞いたんですけど、本当なんですか?」

 白い壁にところどころくすみが目立つ診察室で、私は耳鼻科の先生に恐る恐る尋ねた。

「ああ。小林さん、その話、誰に聞いたんね?」
「えっと、お母さんにピアスの穴を開けたいって言った時に聞きました。」

答えを聞くと、老医師はククッと小さく声を出して苦笑いを浮かべた。

「それは真っ赤な嘘じゃよ。お母さん、耳に穴を開けることに反対してなかったかい?」
「あ、はい。どうして分かったんですか?」

ピアス穴を開けたいと母親に相談した時、良い反応をされなかった。母親はオシャレに無頓着な人で娘が非行に走るとでも思ったのかもしれない。だけど、私はもう大学生だ。耳に小さな穴を開けるくらいで文句を言われる筋合いはない。

「その話には元ネタがあってな。娘が耳に穴を開けるのを快く思わない親が、誇張して話を広めたものだと言われとる。」
「元ネタ、ですか?」
「少々医学的じゃが、聞きたいかい?」
「ちょっと興味あります。」

 老医師によれば、ピアス穴から白い糸が出るのは本当らしい。穴を開けてしばらくすると、皮膚が繋がって上皮化する。そこにきつめのピアスをすると、外す時に上皮化した皮膚が筒状になって剥がれることがある。これが白い糸のように見えるのだ。また、耳には顔の筋肉を動かす神経が通っていて、そこが損傷するとまぶたが動かなくなる。これらの話が伝言ゲーム的に伝わり、「ピアス穴から出た白い糸を抜くと失明する」という話ができあがったそうだ。

「でも、ピアス穴から白い糸が出ても抜いてはいけないよ。ばい菌が入って、ひどく化膿するからの」と老医師は付け加えた。


「じゃ~ん、どうこれ?付けてみたの!」
「えっ、由香とうとうピアスデビュー!っていうかめっちゃ似合ってる!」

 耳に穴を開けた私は早速大学にピアスをしていった。チェーンの先に星の飾りが付いたデザインで派手かと思ったけど、よかった。

「でもさ、穴開ける前、親に脅されたんだよね。『白い糸を抜いたら失明する』って。」
「えっ、なにそれ?私の知ってる話は違うよ!」

友達は驚いた顔で私を見ている。

「そうなの?どんな話?」
「白い糸は蜘蛛の糸なんだって。」
「蜘蛛の糸?」
「そう、悪い男が女をいっぱい捕まえようと罠を張ってるの。」
「罠ねえ。」
「白い糸は悪い男に絡まれてる証拠。抜かないでいると、罠に掛かって大変な目に遭うんだって。」
「ええ、まさか~!」
「でも、すぐに抜けば悪い男との縁が切れるらしいよ。」
「ふ~ん、そうなんだ。」

私は興味ない風を装い、この話を切り上げた。一つ引っかかることはあったけど。

 それから数週間が経ち、私は白い糸の話をすっかり忘れていた。いつものように大学から帰り、ピアスを外して、リビングでくつろいでいた時だ。

「お姉ちゃん、その耳どうしたの!」

高校帰りの妹に突然声を掛けられたので、反射的に言葉を返した。

「えっ、何いきなり!」
「耳から、紐?みたいの出てるよ。」

 すぐに白い糸の話が浮かび、私は部屋に飛び帰って鏡で耳元を見た。すると右耳のピアス穴から2センチほど白い糸が垂れ下がっている。触ると、クシュっと弾力があり柔らかい。軽く引っ張ってみたけど抜けない。どうしようか。確実なのは病院に行くことだ。でも、友達の言葉、『すぐに』抜けば悪い男との縁が切れる、が引っかかっていた。

 私には気になる男性がいた。同じサークルの先輩で、二人で食事に行く間柄だ。でも、先輩には恋人がいる。関係は冷えているらしいが、なかなか別れてくれないのが気がかりだった。先輩は誰にでも優しく人当たりがいい。それが魅力であると同時に、本心を見えにくくする。先輩は悪い男なのかな。もし、糸を抜いても二人の縁が切れなければ…。そうだ。少し抜いてみて、おかしかったら止めればいい。私は意を決して、糸を掴む指に力を込めた。

 音もなくピアスの穴から糸が出てきた。一度抜け始めると、スルスルとスムーズに出てくる。痛みはまったくない。それどころか気持ちいい。意識がフワッとして、眠りに落ちる直前のまどろみのような気分になる。私は手を休めることなく、糸を引き続けた。10センチ、20センチ、30センチ…。まだまだ糸は出てくる。こんなに長い糸が耳のどこに隠れていたんだろう。不思議に思わなかったわけじゃないけど、自分でも手が止められなくなっていた。

 夢中で糸をたぐっていると、スッと突然切れた。すると、急に部屋が真っ暗になった。暗闇に目が慣れないようで、手元さえまったく見えない。停電だ。でも、リビングのテレビは無事だったようでバラエティ番組の笑い声が聞こえた。母親と妹も何事もなかったかのように話している。まだ部屋の様子は見えてこない。その瞬間、私はすべてを察した。糸を抜いたのは間違いだった。

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