糸人間の使命

 朝起きると、布団の脇に足が転がっているのに気づいた。右足と左足がセットである。見た目は非常に精巧で本物の足と見分けがつかないくらいだ。しかし、足首の断面から覗くと中が空洞でスカスカだった。

 次の朝は足首から膝上まで、次の朝は太ももまで足が伸びていた。気味悪さを感じなかったわけではないが、友達のいない俺は誰に相談することもできなかった。それに好奇心もあった。足は微動だにせず、危険を感じなかったので見守ることにした。

 次の夜、俺は目を覚ましていた。すると信じられないことが起きた。頭からふよふよと糸が出てきて、横たわった太ももと繋がった。そして、らせん状に渦を巻きながら、輪郭をなぞり、胴体を作り始めた。二時間くらいで股から肩までの胴体ができあがった。途中で糸を切ってみたが、すぐにまた繋がって「胴体作り」を止めることはできなかった。

 次の朝には腕ができ、次の朝には手ができていた。さらに次の朝、顔が生えていたのだが、見た瞬間に絶句した。俺と同じ顔だった。だが、不思議とそいつに愛着がわき、「糸男」と名付けた。それからも数日間、頭から糸が出続けた。しかし、糸男は動く気配がなかった。

「おはようございます。」

 ある朝、声を掛けられて目覚めた。見ると、糸男がキッチンに立っていた。ハムエッグとトーストを差し出されたので食べてみたら、いつも俺が作るのと同じ味だった。

「なぁ、糸男。お前いったい誰なんだ?」
「糸男とは私のことですか?私はあなたです。あなたとまったく同じ遺伝子、記憶を持っています。」
「いや、そういうことじゃなく、お前何なんだよ。なんで突然現れたんだ。」
「それは私にも分かりません。気が付いたらこの部屋にいて、私はあなたでした。」
「ったく、意味分かんねぇよ。」
「ただ、私には何か使命がある気がするのです。」
「使命?まともな就職も結婚も諦めたアラフォーのおっさん捕まえて、今更何するっていうんだ。」

 二人の間を沈黙が流れた。見れば見るほど、糸男の顔はいつも鏡に映っていた顔にそっくりだった。いや、オリジナルの方が少しイケてるな。

「まぁ、いいや。そろそろ仕事行かなきゃな。」
「仕事…。老人ホームの介護ですね。」
「ああ。毎日毎日、じじいとばばあの世話して、そのうち俺もクソじじいになるんだ。夢も希望もないだろ?」
「確かに。」
「納得されると腹立つ。」
「すいません。」
「そうだ!」
「どうしました?」
「お前、代わりに行ってこいよ。俺と同じ記憶を持ってるんだろ?」

 糸男は素直に従い、家を出た。こっそり着いていくと、ちゃんと出勤していた。帰って感想を聞いたが、無難にこなしたらしい。

 それからも俺は糸男を仕事に出した。クビにならないということは、ちゃんと働けているんだろう。さらに、言いつけると糸男は家事も行った。文句も一切言わない。代わりに俺は毎日家でぐうたら過ごすことにした。

「おい、今日休みだろ。どこ行くんだ?」

 そんな生活が数カ月経った頃、糸男が鏡の前でおしゃれして、身なりを整えていた。不思議に思ったので聞いてみると、

「葉月さんとデートに行きます。」
「な、なんだと…!」

葉月さんは、職場の同僚で十ほど年下だが密かに思いを寄せていた女性だ。しかし、どうせ相手にされないだろうと思い、アプローチするのを諦めていた。

「糸男、代われ。俺が行く!」
「嫌です。」

 初めて糸男が反抗した。一瞬、虚を突かれたが止むを得ない。実力行使だ。俺は糸男に掴みかかった。しかし、糸男はとんでもなく力が強かった。逆に抱えられた俺は、ドスンと布団の上に降ろされ、なす術がなくなった。

「では、行ってきます。」

糸男は軽く微笑んで家を出た。

「最近の亮平さん、雰囲気が違います。前より一生懸命で本気だなって。」
「ずっと仕事は適当に済ませてたんだけど、それじゃつまらなくて、もっと真剣に向き合いたいと思ったんだよ。」
「そういうのって素敵だと思います。」
「ありがとう。」

 俺は顔を隠して糸男の後に着いて行った。糸男が何かやらかすかと心配していたが、二人はやたら楽しげだった。安心すると同時にイラついた。

 二人の会話から、糸男は職場で評判がいいこと、近く正社員にならないかと誘われていることを知った。俺が働いていた時はそんな話なかったぞ。そして何より、二人のアイコンタクトや沈黙の感じが完全にカップルのそれだったことに衝撃を受けた。

「じゃあ、そろそろ出ようか。次はどうする?」
「えっと、行きたい場所があるんです…」

 二人は肩を寄せ合って、夜の街に消えていった。俺はその後ろ姿をただ茫然と見送るしかなかった。

 失意のまま、俺は部屋に帰って布団にこもっていた。すると、足から糸が出てきた。糸男が作られる時に頭から出ていたものと同種のようだ。しかし、今回は編み物がほどけて形が失われるように、糸が出るたびつま先から足がなくなっていった。

 やばい。本能的に危険を感じた俺はすぐに糸を切った。しかし、切っても切っても糸はすぐに繋がり、足はほぐれ続けた。足首からアキレス腱、太ももへ。ゆっくりゆっくりと身体がほどけていった。

 やめろ。やめろ。必死で抵抗したが、止める術がなかった。足を失った俺はほとんど動けなくなっていた。股間から胸元へ、腕から手首へ。とうとう胴体を失い、俺は顔だけになった。

 その時、玄関のドアが開いて糸男が帰ってきた。差し込む光から夜が明けたことが分かる。

「おい糸男、なんとかしてくれ。」
「とうとうこの時が来たか。」
「何言ってんだ。助けてくれ。」
「俺、何のために生まれたか分かったんだ。」
「そんなこといいから早く!」

会話の間にもどんどん顔がほどけ、小さくなっていく。

「まったく哀れな人だ。だから、俺が生まれ、お前が消える。」
「ちくしょう。もう頭が働かねえ…。」
「そろそろだな。大丈夫、俺は上手くやる。お前よりずっと確率が高い。」
「あ、あぁあ…。」
「さよなら。」

 意識が消える刹那、俺は糸男の使命が分かった。糸は頭の先までほどけ、音もなく消えた。

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