普通じゃなくていいんじゃない?

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zoom RSS 少年と男

<<   作成日時 : 2016/09/20 12:30   >>

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 ガタンゴトン、ガタンゴトン、プシュー。男の背後で一台の電車が止まった。客はほとんど乗っておらず、この駅で乗り降りする人もまばらだった。男が乗る予定の急行電車が来るまであと二分ある。しかし男は向きを変え、背後の電車に飛び乗った。自分でもどうしてそんな行動を取ったか分からない。頭の中は真っ白だった。
 ガラガラの座席に腰かけた男は弾んだ息を整えた。まだ意識はぼんやりするが、自分の置かれた状況が分かってきた。自分はサラリーマンで今は出勤前。都心行きの上り列車に乗るはずが、反対方向の下り列車に乗ってしまった。
 ヤバい! 次の駅で降りて引き返さなければ…。
ちょうど向かいのドアが開いた。よしっ、と男は立ち上がろうとしたが、よろけてバランスを崩し座席に尻餅をついた。男は「あっ…」と情けない声を出した。向かいのドアが閉まりかけている。しかし、男にはこれ以上身体に負荷を掛ける気力が残っていなかった。下り行きの鈍行列車は再びゆっくりと走り出した。

「おい、お前。いつになったらこんなミスしなくなるんだ。頭を下げる俺の立場にもなってみろ。黙ってんじゃねぇ、なんか言えや!」
 男は昨日の上司とのやり取りを思い出していた。発注書の数字を間違え、取引先の納期に間に合わない。形は違えど、男は職場で似たようなミスを繰り返していた。上司に怒られるのは何度目だろう。しかも今日は午前中にその上司と営業に行く予定になっていた。あれこれ考え始めると男は胃の辺りをぬるっと不快な液体に撫でられる感じがした。
(ああ、会社に行かないと。でも身体が動かない。上司はどうなる? 仕事は? 恐い、怖い。でも行きたくない!)
男は視線を下げ、頭を抱えた。視界が暗くなり、目を吊り上げた上司の顔がまぶたに浮かぶ。男は、少しでも冷静になろうと頭を振ったり、深呼吸したりした。しかしそれも焼け石に水で、鼓動の音ばかりが早く大きく響いてくる。取り返しのつかないことをしてしまった。頭の中にはあらゆる声や感情、どれも悲観的な、がグチャグチャに混ぜられていた。その間にも電車は閑静な住宅地の中をゆっくりゆっくり進んでいく。

「あっ、海だ!」
 どれほどの時間、そうして頭を抱えていたのだろう。いつの間にか男の隣には十歳くらいの少年がいた。少年は座席に膝を立て、窓の外を眺めている。釣られて男も身体をよじり、窓の外を見た。すると住宅街の向こうにうっすらと海が見えた。男は気付かぬ間にずいぶん遠くまで来ていたことに驚いた。
「ねぇ、おじさんはどうしてここにいるの?」
男は隣の少年に話しかけられた。少年は坊主頭に半袖短パン。目がパッチリしてキラキラと輝いていた。スーツ姿の男性が珍しいのだろうか、少年は男のことをまじまじと見ていた。
「う、あ、んなことどうだっていいだろう。」
虚を突かれた男は戸惑いながらぶっきらぼうに答えた。なんだこのガキは。知らない大人に話しかけるなんて、ちゃんとしつけられてないんじゃないか。
「だいたい君こそ、なんでこんな場所にいるんだ。学校はどうした?」
「えっと、それは…。おじさんが答えてくれないなら、僕も内緒!」
少年は男から一瞬視線を逸らした後、笑顔で答えた。
「ちっ、サボりやがったな悪ガキめ。」
男は舌打ちし、再び視線を下に向けた。少年はそれからも窓の外を眺め続けた。

 ブブブブブッ!
突然、ポケットの中で何かが揺れた。男はそれが何であるか一瞬で悟り、冷や汗をかき始めた。恐る恐る取り出すと予想通り。携帯電話に上司から着信が来ていた。
「あっ、おじさん電話来たの。誰々、お友達?」
隣で少年が呑気な声を出した。
「んなわけねーだろ。黙ってろ!」
「えー、だって〜。」
男が電話に出るか出ないか躊躇しているうちに着信が途切れた。
「あっ、ほら、お前のせいで電話切れちまったじゃねぇか。どうしてくれんだよ!」
「え〜、おじさんがすぐボタンを押せば出れたでしょ?」
男はわざと大きな声で少年に文句を言い、同時に少年の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「わっ、何するのさ。変なおじさん!」

「ねぇ、どうして子供は学校に行かないといけないのかな?」
 電車が終点に近づいた頃、隣に座る少年がボソッと呟いた。
「どうしたんだ、急に?」
「毎朝うちのママはね、僕が学校に行きたくないって言っても、『ダメよ、行きなさい!』って怒るんだ。」
「そりゃそうだろ。子供は学校に行くのが当たり前だ。」
「どうして当たり前なの?」
「だって学校に行かなきゃ、ガキは何にも知らないままだぞ。お前、分数の計算くらいはできるのか?」
「う、うん。今習ってる。」
「じゃあ、日本や世界で過去に何があって、世の中がどういう仕組みで動いてるか分かるか?」
「そんな難しいこと分かんない!」
「だろ? だからガキには学校が必要なんだよ。色んなこと勉強して必要なら大学行って会社に入って社会を支える。それが人生ってもんだ。」
「むー、なんだかよく分かんないな。生きていくにはみんな頭が良くなきゃいけないの?」
「ん、必ずしもそうとは言えないな。世の中には頭の悪い大人も一杯いる。だけどそいつらは人一倍惨めな暮らしをしてるんだ。そうなりたくなきゃ、勉強して競争を勝ち抜いて立派な仕事をしなきゃいけない。」
「そんなの楽しくなさそう…。おじさんは、そういう生き方をしてきたの?」
「そうだ。学校でいっぱい勉強して、大学を出て、大きな会社で働いてる。」
「ふーん、それでおじさんは幸せ?」
「えっ…。」
痛いところを突かれ、男は絶句した。あたかもそんな男の心情を見抜いたかのように少年が言葉を続ける。
「おじさんはとても疲れて、怖い顔してるよ。」
「そ、そうかい?」
「せっかくいっぱい頑張ってきたのに、まだ大変なことがあるんだね。」
「あ、ああ。大人はみんな忙しいんだ。」
「僕、そんなの嫌だな。楽しいことしながら、笑ってのんびりしてたい。」
「…。」
 男の頭の中では様々な言葉が飛び交っていた。おそらく学校をサボってここにいるであろう少年に良識ある大人としてどう声を掛けるべきか。
(屁理屈ばっか言うんじゃねぇ!)
(そんな暮らしができるのは、一部の恵まれた人だけだ)
(努力しないとゆっくり生活なんかできないぞ)
(君はやっぱり学校に戻るべきだ)
沈黙が長引くにつれて男は考えるのが疲れてきた。それらの言葉はどれも虚しく空っぽな気がしたのだ。存外賢いこの少年は何を言ってもまた反論してくるのだろう。代わりに男は今素直に感じていることを口にした。
「ホントは俺ものんびり暮らしたい…。」

 ブブブブブッ!
再び、ポケットの中身が揺れた。男は今度は躊躇わず電話に出た。
「今、どこにいるんだ? 今日は大事な商談だって忘れてないよな。とっとと戻ってこい!」
男は一つ大きく息を吸ってから、電話先の上司を怒鳴りつけた。
「うるせー、バカやろう!」
「な、お前はなにをいだおdふぁうlk;」
男はそこで携帯電話の電源を切り、力強くカバンに放り込んだ。
「おじさん、今の大事な電話だったんでしょ。いいの?」
男の迫力に驚いた少年が目を丸くしながら聞いた。
「いいんだ、バカバカしい。俺の人生は俺のもんだ。」
 ほどなくして電車は終点に着き、二人はそこで下車した。男は少年に家まで送るか尋ねたが少年は断った。ホームの上で手を振り別れ、男が振り向いた時にはもう少年の姿はなかった。
「不思議な子だったなぁ…。」
呟く男の眼下には青々とした海が正午前の強い日差しを浴びてキラキラ揺れていた。

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